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2023/10/20 コラム浜松 日本の三大綿織物産地はどこ?

綿の産地フェア

2023年10月14日、15日に浜松駅前の広場ギャラリーモールソラモにて「綿の産地フェア はままつ染め織りマーケット」が開催されました。

コロナの影響もあり、昨年久しぶりに開催されたのですが、今年も多くの人で賑わっていましたよ。

→前回の様子はこちらから

 

今年も、生地の染め実演や体験・販売会などが行われていました。


さて、なぜ浜松でこのようなイベントが開催されているのでしょうか?

「浜松」と聞くと、現在は「うなぎ」「バイク」「楽器」「みかん」「お茶」などが思い浮かべられますが、実は「繊維」のまちでもあります。

 

全国でも上位を争うほど晴天の日が多く、日照時間が長い遠州(静岡県西部)では、温暖な気候の恩恵も受けて江戸時代から綿の栽培が盛んでした。

その利点を活かし、農家の人々が細々と綿織物の生産をしていました。

 

そんな中、江戸時代~明治時代にかけて浜松の女性企業家の小山みいさんが遠州縞の事業化・量産化に取り組みました。

その後、自動織機の開発などが進み、綿織物は遠州地方を代表する一大産業となったのです。

 

しかし、化学繊維や海外産の安価な生地の台頭により衰退していってしまいました。

近年の地元回帰や、良いものは後世まで残したいという経緯から、浜松では綿織物に関するイベントが開催されているんですね♪

 

 

日本三大綿織物産地

遠州(静岡)、三河(愛知)、泉州(大阪)が日本三大綿織物産地といわれています。

今回はその三大産地のお話を少しだけ・・・

 

 

【遠州】

このブログでもたびたび登場し、玉川産業が活動の拠点としている静岡県西部地方です。

 

温暖な気候と、天竜川という豊富な水によって江戸時代から綿花が栽培されるようになりました。

また、綿だけでなく草木染の原料となる藍・紫根・紅花も栽培されていたことから、農家が片手間として綿織物を作るのに適していたようです。

 

明治時代になると、交通網の充実などで東京や大阪などの大都市にも販路が広がり、綿織物の産地として全国に知れ渡るようになりました。

明治以降は、豊田佐吉さん(トヨタ創業者)が動力織機を発明したり、鈴木道雄さん(スズキ創業者)がサロン織機を発明したりして、昭和時代まで大盛況を誇りました。

 

しかし、昭和後期になると中国や東南アジアからの格安製品に押され、衰退の一途を辿ります。

転業・廃業する工場も多くなったのですが、元々の品質は素晴らしいものがあったため、高付加価値を見出した業者は現在も活躍しています。

 

非効率なシャトル織機を使用することが多い遠州織物は、ふっくらとした柔らかい風合いに仕上がり、国内はもとよりヨーロッパ各国でも高い評価を得ているのです。

2017年には「遠州織物」が商標登録され、日本を飛び越え世界へも販路が広がってきつつあります。

 

 

【三河】

三河地方は愛知県の東部に位置し、前述の遠州地方のお隣です。

 

プロバスケットボールチームの三遠ネオフェニックスのチーム名(本拠地)にもなっているとおり、三河と遠州はすぐ真横の地域です。

場所も気候も近しいため、当然こちらも綿花の栽培に適している地域と言えます。

 

三大産地の中では一番歴史が古く、日本における綿伝来の地といわれているのが現在の愛知県西尾市です。

799年に漂着したインド人により綿の栽培方法が伝えられたとされていますが、残念ながら気候などが合わず栽培は定着しなかったとのこと。

三河地方で本格的に綿の栽培が始まるのは1500年頃ですが、現在は綿花の栽培は少ないようです。

 

豊橋市は生糸生産、岡崎市周辺は紡績、蒲郡市周辺は織物と役割を分けて成長を続け、明治時代には愛知県は「繊維王国」と呼ばれるほどに成長しました。

2007年には「三河木綿」が商標登録され、販路の拡大を目指しています。

 

 

【泉州】

泉州地方は現在の大阪府南西部にあたり、田園地帯も多い温暖な地域です。

 

こちらも綿花栽培の歴史は古く、1400年代の室町時代から栽培されていたとされます。

紀州道中紀行に「極目皆木綿(目に見えるものは全て綿花)」という一節があるとおり、綿花の栽培が盛んな地域でした。

 

他の産地と同様、温暖な気候と豊富な水があった上、港が近いことで輸出入に適した立地であったこともその要因です。

1785年には宇多大津村に綿花売買の注文所ができ、商魂逞しい大阪の人々は綿花栽培から綿織物の商売へと手を広げていったそうです。

 

大阪で繊維業が大きく発展したのは、渋沢栄一さんの主導により設立された大阪紡績(現・東洋紡)が始まりで、数多くの紡績業者や繊維商社が設立されました。

その活気ある状況から、産業革命により発展を遂げたイギリスの工業都市になぞらえて東洋のマンチェスターとも呼ばれていたほどです。

 

毛足が長く良質な綿花で細い糸を紡ぐ「和泉木綿」が2006年に商標登録され、国内・海外市場へ高付加価値の商品を提案しているそうです。

 

 

最後に

化学繊維や、中国・東南アジアの低価格に押され衰退してきた日本の綿織物産業ですが、現在でも生き残っているのは高付加価値を付けることに成功した人たちです。

本業の付加価値は、当然それぞれの企業の社員さんの力が重要ですが、玉川産業は制服の面から付加価値の創出をお手伝いさせていただきます。

 

浜松の繊維産業が広まったのは、当時は珍しかったと思われる女性実業家の活躍のおかげだったのです。

現在の自動車産業も元を辿れば繊維産業に行き着きます。

そして、これからの浜松はEVが主流になって産業構造が変わります。

 

これからはその流れに乗り遅れないように、はたまた流行・ニーズを先回りして取り入れる必要があります。

その流行を感じ取る能力に長けているのが、女性の力・若い力です。

 

再び女性の力・若い力を最大限に発揮するために、制服は重要なアイテムです。

制服一つ変えるだけで、周りからの評価アップ・現社員のモチベーションアップにつながります。

「着てみたい!!」と思わせる制服は、ファッションに敏感な新入社員が会社を選ぶ際の決め手のひとつにもなり得るのです。

ただ汚れるのを防ぐための制服を着続けるよりも、より付加価値のある制服を検討してみませんか?

 

とはいえ、今すぐ制服を変える必要はありません。

創業50周年、100周年、各種イベント開催時など、「ちょっと制服を変えてみるのも良いかも」と思ったときに、頭の片隅に「あ、玉川産業」があったな・・・と選択肢の一つとして思い出していただければ幸いです。

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