目次
浜松市の総人口推移
浜松市の総人口推移
1950年 49.5万人
1960年 56.8万人
1970年 63.1万人
1980年 69.9万人
1990年 75.2万人
2000年 78.6万人
2010年 80.1万人
2020年 79.1万人
浜松市の総人口は2005年の80.4万人をピークに、ここ十数年減少傾向が続いています。
2020年のデータを区で見ると、浜北区と東区で人口が増加しているものの、他の5区の減少数の方が多く、トータルではマイナスになっているようです。
浜北区と東区は住宅地の増加により人口が増えていますが、特に天竜区は大幅に人口が減っており過疎化が進んでいると言えます。
浜松市の生産年齢人口推移
生産年齢人口とは、国内の生産活動を中心となって支える人口のことで、15-64歳の人口を指します。
これより下の0-14歳を年少人口、65歳以上を老年人口と呼びます。
2010年から2020年までの間の浜松市の総人口は約-1万人程度ですが、生産年齢人口は約-2万6千人と大幅に減少しています。
1990年代後半に老年人口が年少人口を超えてからは、一気に超高齢化社会が進んでいるのです。
世界的に見ても、欧米の先進国においては軒並み減少しています。
対して、新興国は人口とともに生産年齢人口も増えていますが、中国に関しては人口が61年ぶりに減少に転じたとともに、一人っ子政策の影響により2010年頃から生産年齢人口も減少に転じています。
労働力であり消費者であるこの人口が減ると、労働力不足などの様々な問題が発生し、経済の停滞が懸念されます。
今後も浜松の労働人口は減少することは確実なので、今のうちに求人対策を進めておかないと、気づいた時には人手不足という状況に陥ってしまいますよ。
浜松市のものづくりの歴史
浜松市は、ものづくりが盛んな町として成長してきました。
その中心にあったのは、主に「繊維」「楽器」「バイク・自動車」産業です。
一見、共通点が見つけられなさそうに思うかもしれません。
しかしこの3産業、実は密接な関係があるのです。
<繊維産業の遷移>
【江戸】
上州から結城縞の技術が伝えられる
温暖な気候に恵まれていたため、綿花の栽培が盛んに
交易の盛んだった笠井地区で取引され「笠井縞(かさいじま)」と呼ばれる
【明治】
笠井縞は取引市場の広がりから「遠州縞(えんしゅうじま)」と呼ばれるようになる
遠州初の洋式紡績工場、遠州紡績株式会社が設立
豊田佐吉(トヨタ創業者)が動力織機を発明し、遠州織物の評価が上昇
全国三大綿織物産地の一つとして知られるようになる
池谷七蔵が様々な染色機械を発明し、木綿中形株式会社(日本形染)を設立
【大正】
日清紡績浜松工場が誘致される
【昭和前期】
鈴木道雄(スズキ創業者)がサロン織機を発明
織物工場が軍事工場に転換され、繊維産業は大打撃
ガチャマン景気と呼ばれる朝鮮戦争の特需により昭和40年頃まで盛況
【昭和後期~平成】
中国や東南アジアからの輸入増、バブル崩壊・円高により衰退
<楽器産業の遷移>
【明治】
山葉寅楠がオルガン製作を開始し、日本楽器製造株式会社(ヤマハ)を設立
日本楽器製造株式会社がピアノ製造を開始
【昭和】
日本楽器製造の河合小市が河合楽器研究所(カワイ)を設立
少子化や普及率の増加により低迷
DTM(デスクトップミュージック)や消音ピアノで再注目
【平成】
電子楽器メーカーのローランド株式会社が浜松に本社を移転
<バイク・自動車産業の遷移>
【昭和前期】
遠州織機がオートバイの製作に着手
多くの織物工場が軍事工場に転換されたことや、浜松大空襲によりオートバイ製作は頓挫
本田宗一郎(ホンダ創業者)が原動機付自転車の製造を開始
続けて丸正自動車(ライラック)、鈴木式織機(スズキ)、日本楽器製造(ヤマハ)がオートバイ製造を開始
鈴木式織機から改名した鈴木自動車工業が日本初の軽自動車発売
【昭和後期】
生産拠点の海外移転により国産バイクの生産が減少
【平成】
次世代自動車に搭載される部品開発支援が目的の「次世代自動車センター浜松」を開設
【令和】
新型コロナウイルス蔓延により、密を避けられる移動手段としてバイク需要が復活
トヨタ・・・繊維→自動車
ヤマハ・・・楽器→オートバイ
スズキ・・・繊維→オートバイ・自動車
と、人口増とともに浜松にゆかりのある企業が、産業を変えて世界に羽ばたいて行きました。
浜松の産業のこれから
自動織機の発明や、戦争による軍事工場からの転換などにより、明治時代・昭和時代の転機に上手に産業を変えて浜松は発展してきました。
令和の時代は、世界的に進む電気自動車(EV)普及や自動運転化により、浜松の産業の転機となりそうです。
繊維・楽器からオートバイ・自動車への産業変化があったように、新たな産業も生まれそうですよね。
過去の歴史からも垣間見える通り、浜松の中小企業には宝である「技術」が眠っています。
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