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浜松城にあった小学校
静岡県浜松市の観光名所、浜松城にあった学校をご存じですか?
正確には浜松城「二の丸跡地」にあった学校なのですが、市中心部のドーナツ化現象により児童数が減少し、2017年3月に統廃合による閉校となりました。
その学校は、浜松城天守閣と浜松市役所のお隣という、浜松のど真ん中と言っても過言ではない場所にありました。
浜松城に行くと必ず目に入っていた学校ですので、観光で訪れた方もご存じかもしれませんね。
その歴史は古く、作家の井上靖氏や映画監督の木下惠介氏などを輩出しており、楽器・音響のヤマハ株式会社設立のきっかけともなった、浜松市で最も長い歴史を持つ小学校です。
尋常小学校・国民学校などを経て、最後は「元城小学校」として144年の歴史に幕を閉じました
この元城小学校も、浜松市役所も、元々はすっぽりと浜松城の敷地内に入っていたのですよ。
現在の浜松城は、小さめな方に分類されますが、元々はもっと大きいお城でした。
復元されたお城は三重天守ですが、本来は五重天守というもっともっと立派なお城だったんです。
ところが、復元する資料が少なく、復元当時の市の財政の都合もあって小ぶりに復元されているお城なのです。
小学校がすっぽり敷地内に入っていたのも納得ですよね
小学校跡地で発見!枯山水の庭園
閉校後、校舎の解体が行われ、二の丸跡地の発掘調査が進められていました。
2021年12月、そこで枯山水の庭園の遺構が発見されたそうです。
早速、その様子をチラリと覗いてきました。
小学校跡ということだけあり、校舎・グラウンド・体育館などがあった場所なので、広大な土地を発掘調査していました。
今回発掘された場所は、二の丸の奥御殿のさらに奥の超プライベート空間で見つかったということで、藩主が楽しんでいた可能性が高いそうです。
藩主が生活する奥御殿に遺構が見つかるのは貴重で、江戸時代の造園と想定されているようですね。
江戸時代の造園業
江戸時代の造園業・・・作業服業者の玉川産業としては気になるところですね。
どのような服装で作業をしていたのでしょうか。
作業着の始まりは、江戸時代の火消しやとび職人の法被・股引と言われています。
江戸時代の末頃から作業着も洋装化されていったそうですが、ここに庭園が造られた頃は動きやすい作業着があったのでしょうか
まだ和装の時代でしょうか
それとも、まだ作業着という概念すらない時代だったのでしょうか
まだ大型の機械もなく手作業が主流だった頃は、動きやすく汚れても良い服装だったのでしょうか。
考え始めると、夜しか眠れません(←快眠)
令和時代の造園業
現在日本最古と考えられている庭園は飛鳥時代のものと言われており、その様式は朝鮮半島の影響を受けたものとみられるようです。
しかし、造園業・植木師が歴史上初めて登場するのは安土桃山時代と言われており、そこには数百年の間が空きます。
作業着が広がったのも江戸時代ですし、造園業としての職業もこの頃に成立したのかもしれませんね。
さて、江戸時代の造園業も気になりますが、令和時代の造園業も気になります。
機械化が進み、動きやすさはそれほど重視されず、汚れることも少なくったため防汚性も重視されず、デザイン重視になるのではと思っています。
(今まで)
土埃にまみれた肉体派の兄ちゃんが、汗を流してお庭を造る
↓ ↓ ↓
(これから)
スタイリッシュな作業着の匠が、スマートにお庭を造る
そんな時代ですよね。
お庭を造るのは造園業のプロにお任せしますが、スタイリッシュでオシャレな匠にするお手伝いはお任せください♪
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